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【倒福】「福がひっくりかえる」と「福が至る」と言う意味の言葉が同じ音で、掛詞になっていて、このように「福」の字かさかさまになっている。

★劉白雨の信口開河

2010年03月05日

雷鋒に学ぼう

  あなたは自分を犠牲にして、人のために何かをしてあげられますか?数年前、線路に落ちた人を助けようとして亡くなった韓国人留学生とカメラマンがいました、踏切に入っていった女性を助けようとして亡くなったお巡りさんもいました。彼らをすごいなと思う反面、自分は出来ないだろうなと思ってしまうのが、私を含めて普通の人なのではないでしょうか。

 

  人のために何かをする、命をかけないまでも人のために何かをしてあげるというのは、気持ちいいものです。先日も電車に乗ろうとスイカにチャージをしていたら、後ろからおばさんがスイカの買い方について聞いてきました。おそらく僕がスイカを取り出したのを見て、券売機で買えるのだと思って、欲しくなったのでしょう。ぶっきらぼうな私も、一応きちんと一から説明して、無事購入して貰いました。とりあえずおばさんはすごく喜んでいたみたいでした。私はたいしたことをしたつもりもなかったので、少し気恥ずかしい思いをしましたが、ちょっと気分良くなりました。

 

  こういう良い気分にして貰えると、また誰かに親切にしてあげたいなと思うものです。

 

  ところで、人に親切をすると言うと、中国ではある人物を皆思い浮かべるはずです。その人の名前は「雷鋒」と言い、21歳の若さでこの世を去った、中国人なら誰もが知っている英雄の一人です。

 

  彼は1940年12月18日に湖南省に生まれました。1947年両親と兄を相次いで亡くし、7歳にして孤児になってしまったのです。1949年、雷鋒の住む村が人民政府に解放されると、児童団大隊長になり、それからは共産党の庇護の元、不自由なく暮らすことが出来たのです。

 

  その後は、学業にも励み、小学校を卒業すると共産主義青年団に入団し、模範団員と称されるようになり、1960年には共産党に入党、数々の功績を上げていきました。しかし、1962年8月15日、バックする車を誘導していた際、スリップを起こした車が角材を倒し、その角材が雷鋒のこめかみに刺さり、そのままこの世を去ったのです。

 

  彼の数奇な人生はあっという間に幕を閉じてしまいましたが、彼が残した功績と人々の心に残るおこないは、計り知れない物があったようです。

 

  彼の日記から1つエピソードをご紹介しましょう。

 

  「1961年2月2日:今日は営口から汽車に乗って兄弟部隊に報告にいった。列車を降りたとき、骨身にしみる北風が吹いていて、地面は雪で覆われ、物凄い寒さだった。その寒さの中、1人のおばあさんが手袋もせず、両手を口に当て、手を温めていたので、自分の手袋を取り、そのおばあさんに差し上げた。彼女はしばらく何も言えず、目に涙をためて、私をじっと見つめていた。道中、私の手は針に刺されたように冷たかったが、心は何とも言えず嬉しかった。」

 

  ありふれた日常の一コマですが、彼の人柄が良く出ている日記だと思います。

 

  彼の死後、共産党では彼の模範的な行動を学ぼうという気運が高まり、1963年3月5日、毛沢東主席が「雷鋒に学ぼう」という題字を書いたことから、この日を「雷鋒記念日」と定め、様々な記念行事がおこなわれるようになったのです。

 

  彼の人生からは、中国人だけでなく、私たちを含め、世界中の人が何かしら学べると思います。ぜひ一度彼の伝記などを読まれることをお薦めします。


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