第一回 「言葉を学ぶとは」
トピックのコーナーで、中国語を学ぶ第一歩について書きました。
そこでは、「フィーリング」が大切だと言いました。
でも、皆さんは「フィーリング」だけで語学が出来たら苦労はしない、と思っているでしょう。確かにその通り。「フィーリング」だけで、語学が出来たら苦労はしません。
そう、そこにはもう一つ大切な「手順」が必要なのです。
では、その「手順」とは何か。巷で出回っている教材を順番にやることなのか。いや、違います。次の4つの段階を踏むことです。それは、「聞く」「話す」「読む」「書く」です。中国語で言うと「听,说,念,写」です。
なんだ、そんなことかと思った方、そうその通り、あなたが母国語である日本語を学んだとき、無意識にこの順番で学んでいるのです。生まれてすぐの赤ちゃんにいきなり字を書かせたり、本を読ませたりする親はまずいないでしょう。
まずは、只管「ママですよ」「パパですよ」などと話しかけ、一日中付きっ切りで世話をしながら話しかけているはずです。赤ちゃんはそれを只管ヒアリングしているのです。物の本によると、お腹の中にいるときからお母さんの話し声を聞いているなんて言います。所謂胎教ですよね。
そうしているうちに、1年も経つと初めの言葉を話し始めます。「ママ」が圧倒的に多いと言われますが、その前に「ア」と言う言葉を発しているので
はないですか?そのあとア行の音、所謂母音の「イ」「ウ」「エ」「オ」をそれぞれ状況に合わせて発しているのではないでしょうか。「マ」と言う言葉はそれが出来て始めて出来る口唇音と言う高度な発音なのです。
そうして、意味のない音から意味のある単語、簡単な発音から高度な発音へと進歩すると、今度は文章に発展していきます。まずは、「ママ、マンマ」など単語を並べていくだけですが、「お腹がすいた」などと言う単文になり、「お腹がすいたから、おやつちょうだい」と言う複文に発展し、さらに複雑な文章を組み立てていけるようになるのです。
その頃には、両親が夜寝る前に読んでくれていた絵本を、自分で読むようになっているはずです。そして、絵本から始まった読書は児童書になり、やがて普通の大人が読むような本へと変わっていくのです。
絵本が読めるようになったら、最後の難関「字を書く」です。子供は悪戯書きが大好きです。そうやって手を動かすことによって、自然と字を書ける器用な手を身につける訓練をしているのだそうです。そうして、棒線や曲線、丸などが書けるようになったら、いよいよ文字へと発展していきます。そして、文字が書けるようになったら、自分の名前や、日記、作文など様々な文章を書けるようになっていくのです。
このように言葉を学ぶ順番は決まっているのです。外国語を学ぶからと言って、この順番は変わらないはずです。例えばアラビア語を学ぼうと思い、アラビア語のテキストを買ってきました。そこには見慣れない文字がいっぱい並んでいます。それを見ただけで、あなたはアラビア語が出来るようになると思いますか?私は無理だと思います。
付属のCDがあれば、そのCDを何度も聴いて発音を覚え、まねをして発音し、それがどんな文字になるのか確認し、読めるようになったら、書いてみる。そう、子供の頃何年も掛けてやったことを、同じようにやるはずです。僅か数時間でやってのけるはずです。
ではなぜそれが出来るのですか?それは、言葉を学ぶ基礎である身体の構造ができあがっているから出来るのです。子供の頃何年も掛けて口を動かして複雑な発音が出来るようになったり、手を動かして複雑な線を書けるようになったりしているので、すでに身体に下地ができあがっているからです。
ですから、皆さんがもし、今日本語がペラペラ話せて、書けるのであれば、外国語の一つや二つ出来るようになるはずなのです。もちろん日本語を学んだその順番で学べばの話です。では、次回、その第1段階である、「聞く」について語っていきたいと思います。
劉白雨 2009年12月21日
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